プロバスケット選手の富樫勇樹さんの父親は、冨樫選手の中学時代のバスケット部の監督でもありました。
富樫勇樹選手は父から唯一フローターシュートを教わったそうです。
富樫勇樹の父は中学時代の監督!
富樫勇樹選手の中学時代の監督は父の秀樹さんでした。
父が新潟県の新発田市立本丸中学校で教員をしていてバスケ部の監督だったそうです。
本丸中学校の場所はこちらです。
富樫勇樹選手が中学3年生のときに全国大会で優勝しています!
富樫勇樹選手は中学3年間は家では父と会話をしていなかったと言っています。
食事をするときも背を向けていたそうです。
富樫勇樹選手の小さいころなどを語っている父の秀樹さんのインタビューがこちらです。
富樫勇樹はフローターシュートを父から教わった
富樫勇樹選手といえば、フローターシュートが特技ですね。
そのフローターシュートは小学校4年生のときに父の秀樹さんから教わったそうです。
教わったというより聞いたという表現の方が正しいかもしれません。
なぜならフローターシュートを一緒に練習はしなかったからです。
富樫勇樹選手は自身で研究しながら習得したと思われます。
現在はこのフローターシュートで救われた試合はたくさんありますね。
富樫勇樹がアメリカ留学した理由
富樫勇樹選手は高校進学の際に日本でバスケをしたい高校がなかったとのことです。
それは父の秀樹さんが監督をしていた影響で強豪校の監督も父親のことを知っているため、気を使われるのではないかと考えたそうです。
富樫勇樹選手が悩んでいたときに小学生のころから知っている中村監督に相談すると、アメリカに行くしかない!と言われたのことです。
これがきっかけで単身アメリカに行くことを決意しました。
この中村監督は日本女子バスケのヘッドコートを努めたことがある人です。
ただ、当時の富樫勇樹選手は英語が苦ってだったようです。
TOEFLの結果が、
120点中、8点
だったそうです。
ポイントガードは司令塔ですので言葉が通じないと連携プレーも厳しいと思いますので、語学についても相当な努力をしたことが想像できます。
特に高校1年生のときは辛かったのではないでしょうか。
中村監督の後押しがなかったアメリカ留学もしていなかったと話しています。
まとめ
富樫勇樹選手の父は中学時代のバスケ部の監督だったことで普通の親子とはちょっと違ったかもしれませんね。
父の秀樹さんは現在でも富樫勇樹選手の千葉ジェッツの試合は、全試合観ているそうです。
富樫勇樹選手を気にかけていることがわかりますね。
富樫勇樹選手も言葉ではなかなか伝えることはないようですが、父のことは尊敬しているとのことです。
今後の富樫勇樹選手の活躍を期待しています!